ランチェスター戦略の歴史

はじめに

ランチェスター戦略には難しい部分がいくつもありますが、大企業はもちろん中小企業でも、経営戦略の研究に熱心な社長の間ではよく知られています。中でも自分の努力で、市場占有率1位の商品や1位の地域を作り上げ、従業員1人当たりの経常利益を「業界平均の2倍以上」出している会社の社長のほとんどは、ランチェスター戦略を熱心に研究して実践しています。

利益性を高めて良い会社にするのに最も有効な方法は、「ランチェスター戦略を研究し、これを実践すること」になります。そしてこの戦略は、強者の戦略と弱者の戦略の2つによって成り立っており、経営規模が小さいなど競争条件が不利な会社は、弱者の戦略を実行しないと業績は良くなりません。
経営のやり方には、アメリカから入ってきたドラッカーのマネジメントを初めとして、コトラーのマーケティング理論やマイケル・ポーターの競争の戦略、それにレッドオーシャン・ブルーオーシャンなど、いくつもの方法が説明されています。ところがアメリカから入ってきている経営方法に、2つのやり方は明確に区別して説明されてないので、思ったほど役に立っていません。
では、ランチェスター経営戦略が考え出される大本になった、ランチェスター法則はどのようにして考え出され、どのようにして日本に伝わったのでしょうか。法則を考えたランチェスター先生「生誕150周年」を迎えるに当たり、これらについて説明します。

第1章 法則はどのようにして日本に伝わったか

1.法則を考えたランチェスターの略歴

法則を考えたフレデリック・ウィリアム・ランチェスターは建築技師をしていた父ヘンリーの4男として、1868年10月28日にロンドン南部のルイズハムで生まれた。(明治元年)。1歳のとき父の転勤により、イギリス南部のブライトンに移住。(父はテラスハウスの建築に従事。)
14歳のとき、サザンプトン大学の前身に当たるハートレイ技術専門学校に入学し、20歳で卒業した。1888年、バーミンガム市にあるガスエンジン会社に就職し、ガスエンジンなどの設計と制作に従事し、いくつかの特許を取得している。ガスエンジンとは、都市ガスを燃料としていた。1893年の終わり頃(25歳)同社を退職した。それからの6カ月間は飛行理論を研究するとともに、2冊の本を出版している。(この本は国会図書館に在庫がある。)
26歳の中頃、ガソリンエンジンの自動車制作に取りかかり、およそ1年半後に、単気筒で5馬力の自動車を完成させた。しかし5馬力では、パワー不足であることが分かったのですぐ改造に取りかかり、1895年に2気筒の水平対向エンジンによる、8馬力の自動車を完成させた。
この水平対向エンジンは振動が少なかったので、好事家の関心が集まり自動車制作の依頼があったことで、28歳のときランチェスター自動車会社を創業し、商業生産を始めている。
自動車制作は、40歳になる迄の12年間続けた。しかし自動車の性能が良くなるとともに大型化したことで、部品を作るための機械購入に多くの資金が必要になった。このとき資金調達が思うようにできなかったことで、会社を売却したあと技術コンサルタントに転向している。

2.法則は1914年10月に考えついた

ランチェスターが、技術コンサルタントになった4年後の1914年7月28日に、第1次世界大戦が勃発した。これに刺激を受け「今後戦争はどのように推移していくか」について考えた。そのあとこれをまとめ、およそ1ヵ月後の1914年9月4日から12月24日迄の4カ月間、技術雑誌に記事を連載した。この中の10月2日付けの記事は「集中の法則・N2乗法則」がテーマで、これが後にランチェスターの法則と呼ばれることになる。

第1法則。攻撃力=兵力数✕武器性能(質)
第2法則。攻撃力=兵力数2✕武器性能(質)

(注)日本ではランチェスターは「空中戦の損害量を分析しているときに、法則を発見した」と説明されていたが、これは間違いであることが分かった。この事情は第1次世界大戦のときイギリスの作戦本部にいた、リデルハートが書いた「第1次世界大戦」の本でよく分かる。(上村達夫訳、フジ出版社刊)リデルハートによると、「サーカス方式と呼ばれる集団による空中戦が始まったのは、1916年の春から」と説明されている。これは法則発表から1年半後に当たる。地上戦闘の損害調査もしてない。
ランチェスターは4ヵ月にわたって連載した記事をまとめ、1916年の初めに「戦闘における航空機」の題名で単行本を出版した。(国会図書館には2冊の在庫がある)ランチェスターは、これらの記事によってイギリス政府に知られることになり、ほどなく「軍の顧問」に就任している。
ちなみにランチェスターは2つの法則を発表したものの、これを市場占有率の計算や経営戦略への応用については、一言も言及していない。日本のコンサルタントの中には、「ランチェスターは市場占有率や経営戦略を考えた」と書いている人もいるが、これは大きな誤りになる。

3.アメリカ国防省がランチェスター法則を利用

第1次世界大戦が終わって、しばらくは平和が続いた。しかしやがて、日本とドイツが着々と軍備を強化しているのを見たアメリカ国防省は、「いずれ日本やドイツと戦争をすることになるだろう」と考えた。

そのあと、数学者、物理学者、生物学者など、その道のスペシャリストを何人も集めた。そして「5人~7人」の小チームをいくつも作り、いろんな課題を与えて研究させた。

これが、プロジェクトチームと、オペレイションズ・リサーチ(O・R)(実際的問題解決法)という、新しい学問を生み出すキッカケとなった。プロジェクトチームのメンバーは軍人でないので、課題に対しては「こだわりやとらわれ」がなく、空の心で対応できることから、良い知恵が出る。

その1つの課題は「日本に向ける軍事予算のうち、これをどのような使い方をすると、最も効果的に日本に勝てるか」というものであった。この課題を与えられたチームメンバーの1人「バーナード・O・コープマン」は、ランチェスターの法則とゲームの理論を組み合わせて、「コープマンの戦路モデル式」を完成させた。

その結果、日本に向ける軍事予算のうち、3分の2に当たる67%を戦略爆撃用に配分し、3分の1に当たる33%を戦術攻撃用に配分すると、最も効果的に扱いに勝てることを計算によって証明した。機爆製とは、兵器や取用の食糧生産を大本から破壊し、戦場への補給力を大本から少なくする。

このプランを受け入れて開発に着手したのが、日本専用の戦略爆撃機のB-29であった。B-29は片道3000kmを飛行し、爆弾は5トンを積載した。

これ以外にプロジェクトチームに対しては、いくつもの研究課題が与えられた。
① 日本のゼロ戦には、どう対処すれば効果的に勝てるか。3対1。
② 日本軍が支配している南の島々を、効果的に奪取する方法。
③ 空母対空母の戦いで、損害を少なくする方法。攻撃力と守備力。
④ 神風特攻隊の被害を少なくする方法。
⑤ ドイツのUボートを、効果的に撃沈させる方法、など。

4.アメリカでORの本を出版
第二次世界大戦が終わったあと、これらのプロジェクトチームに参加していた、フィリップ・モースとジョージ・キンボルの2人は国防省の許可を得、プロジェクトチームが考え出したものの中から成果があったものをまとめ、1951年に「METHODS OF OPERATIONS RESEARCH」の書名で出版した。この中にランチェスターの法則と、コープマンの戦略モデル式が載っていた。

戦争が終わってしばらくすると、アメリカとソ連の対立が始まった。1950年(昭和25年)、朝鮮戦争が勃発するにいたりいよいよ両国の対立が深まった。このときアメリカは「日本の産業を早く復興させ、アメリカの防波堤にすべきだ」ということで、日本に対して技術顧問を何人も派遣することにした。このときの受入団体として、日本科学技術連盟が創設された。

技術顧問団の1人であったデミング博士は、「経営改善をするときはORが役立つはずだ」と言って、アメリカで出版されたORの本を日科技連に3冊送った。日科技連はさっそくこの本の翻訳作業に取りかかり、1955年(昭和30年)9月に「オペレイションズ・リサーチの方法」の書名で出版した。

この本は当時としては高価であったが、「アメリカはこのような考え方で戦ったのか」ということに関心が集まり、予想外に売れている。

5.1955年以降多くの人がランチェスター法則を研究
ORの本が発売されたあと、この本を買った人々の中から同時多発的に、ランチェスターの法則を経営に応用する人が出た。ランチェスターの法則は機器の法則であるが、このとき日本では「競争の法則」と置き替えたことで、
意外な展開を示した。
最初にランチェスター法則の講演をした人は、ORの本を翻訳する作業チームの1人であった「中原敷平氏」で、中原氏は第2法則を強者の戦略、第1法則を弱者の戦略と説明していた。強者の戦略と弱者の戦略という、インパクトのある表現をしたのは中原氏であった。そのご何人もの人がランチェスター法則について説明したばかりか、大企業では戦略を担当者する取締役や部長クラスの人が、この法則を経営や営業に応用したという。

その中で特許事務所を経営していた奥村正二氏は、1960年(昭和35年)12月15日に出版された「企業間競争と技術」で、強者の戦略と弱者の戦略について記事を書いている。

次に、東京大学で教授をしていた林周二氏は、1961年1月15 日に出版した「日本の企業とマーケティング」の本で、強者の戦略と弱者の戦略について10頁近く説明している。
しかし1960年代初めは、まだ「経営そのもの」についての研究が十分進んでなかった。さらに軍事用として使用されていた脱路を経営に応用する新発も十分にされていなかったので、戦略の意味そのものが著者によってバラバラに説明されていた。

これらの理由で、ランチェスター法則の経談への店用はまだ十分とは言えず、内容のあるものが出版されるのはおよそ10年後からになる。(トラッカこの創造する経営者が日本で翻訳出版されたのは、1984年、昭和38年)。フォーチュン紙の1960年代の経営戦略。

6.田岡夫先生と田太公望先生が市場占有率を発表
産業教育会社のセールス・プロモーション・ビューロー(SPB)でセミナ一の講師をしていた田岡先生と斧田先生は、奥村正二氏と林周二氏の本を読んだことで、ランチェスターの法則と出会った。それからすぐORの本も買い、ランチェスター法則の研究を始めた。

両氏はこの本の中にある、バーナード・コープマンの「戦略モデル式」に注目した。そのあと1962年(昭和37年)の夏から1年をかけ、市場占有率の3大数値となる、「26.1%、41.7%、73.9%」を計算によって導き出した。
これにより次の2つが明らかになった。
まず1番目は、市場占有率1位で26%以上を確保し、2位との間に10対6以上の差をつけると、最も有利な条件で粗利益が補給されるようになるので、強者の戦略が実行できる。
2番目は2位を含め、この条件を満たしてない会社は粗利益の補給力が弱くなるので、弱者の戦略を実行すべきである。
このように市場占有率の3大数値がわかったことで、「自社はどのようなやり方で経営をすべきであるか」、これがはっきりした。これは両氏の功績によるところが大きい。

  1. 田岡先生がランチェスター戦略の本を出版
    田岡先生は、市場占有率の3大数値を考え出して10年後の1972年(昭和47 年)12月に、ランチェスター戦略入門の5巻シリーズの本を、ビジネス社から出版した。
    この本がとても多く売れたことで、中小企業の社長や役職者の間でランチェスター戦略についての関心が一気に高まった。
    これにより田岡先生には講演の依頼が多くなり、当時では最も忙しい人になっている。

第2章 販売におけるORの応用
はじめに。アメリカ軍が、戦争で使ったプロジェクトチームのやり方の、「実際的間題解決法」と呼ばれるORの手法は、経営のやり方に応用できる。
ではORの手法を訪問型の販売活動で応用してみよう。
工場で製品を加工する仕事は、改善につぐ改善や機械化により、1900年代と比べると、生産性が50倍以上高くなっているという。これに対して販売活動の生産性は、1960年代と比べると数倍しか高くなってなく、他の仕事と比べると最も遅れている。

この原因は、次の3つにある。
①販売の仕事は形がなくてつかみどころがない。
②仕事の中心が会社の外になるので、契約迄のプロセスがつかみにくい。
③ 商品を買うかどうかの決定権は、お客が100%持っていて売る側はゼロのため、売る側の思いどおりにはならない。

このような事情がある中、販売の仕事に対してORの手法を応用すると、能率向上にとても役立つ。
①まず着眼大局の原則に従い、販売作業の全体像をはっきりさせる。
②販売活動を構成している、中心的な要因をはっきりさせる。
③ 販売活動の、中心的な要因のウエイト付をする。
④大事な要因のレベルの高め方を考え、これを手引書にまとめる。
⑤ 手引書を使って、販売担当者の教育と訓練をする。
⑥ こうしたあと着手小の原則に従って、実行に移る。

こうすると進む方向が正しくなるばかりが、見えにくい販売の仕事方視覚化できるので、担当者の実力が速く高まって業績向上に役立つ。

  1. 販売担当者の実力を決める公式
    訪問型営業における担当者の販売力を高めるには、着眼大局の原則に従い、販売担当者「個人の販売力」はどのような構成要因で決まるか、これを明らかにし、しかもこれを公式で表わす必要がある。公式で表わすと、説明を開く方に個人差が少なくなるばかりか、図表化もできる。論理学の応用。

多くの競争相手がいて、お互いに確率的な販売競争をしている状態では、ランチェスターの第2法則が適用される。

販売力=訪問面会件数²✕質。(計画、お客情報、知識、技術)
販売力を高めるには、2つのウエイト付がいる。微分。
販売力=訪問面会数 67%に、質は33%で決まる。

社長や役職者に販売力の高め方を聞くと、次の2つに分かれる。
1つ目は、訪問面会件数を多くすべきだ、訪問件数を、と言う人。
2つ目は、回るばかりではダメ。質を高めなくては質を、と言う人。
これはあれかこれかの択一型になっているので、販売力を高めることはできにくい。

易より入りて難に向かえという教訓があるように、訪問件数を多くするのは早くできるのに対して、質を高めるのは何年もかかることから、販売力を高めるには、訪問件数の増加から先に手掛けるのが正しい手順になる。

2.販売担当者の実質上の販売コストを知る
販売担当者の実力を高めるにはその前に、担当者の実質上の販売コストがどれ位になっているか、改めてこれを確かめておく必要がある。

① 訪問型営業の経費構成内容
人件費 50%、その他の経費 50%

②従業員 20人位の卸売業では3倍になる。
3倍になる会社で、税込の年間総支給額が400万円の人は、1200万円が実質上の販売コストになる。月間では100万円になり、1カ月に22日仕事をすると、1日当たりは4.5万円になる。1年間に 2000時間仕事をしたとすると、1時間当たりの販売コストは 6000円になる。1日平均4件訪問したとすると、1件の訪問コストは 11000円になる。しかもこれは原価のため、実際にはこれに15%の利益を加える必要がある。
※これらを理解して、始めて原価意識や利益意識が出る。

3.販売担者の仕事内容を確認
販売担当者の実力を高めるには、改めて担当者の仕事内容を確かめておく必要がある。
① 担当者の3大作業
移動時間 30%
社内業務時間 30%
面談・コミ時間 40%
移動時間 45%
社内 30%
面談 25%

※メーカーで業績が悪い会社は、本当の仕事は25%位しかない。
※卸売業の場合、粗利益に対する経常利益の割合は8%。損益余裕率。

②担当者の時間調査をする。
時間に焦点を当てて1カ月間調査をし、事実を数字で確かめる。
a. 移動時間は何%か。
b. 社内業務時間は何%か。
。.面談、コミュニケーション、得意先の滞在時間は何%か。但し自社内にいてもお客に電話、FAX、メール、はがきを書く時間はこれに入る。

4.訪問面会件数の高め方
①移動時間を少なくする。
A.移動時間が、同業者より8%~10%多くなると赤字になる。
B. どうすれば、移動時間を同業者より「8%〜16%」少なくすることができるか。これができれば経常利益は2倍~3倍になる。ORの実行。これらがどうなるかは、重点地域の決め方と、最大範囲の決め方の2つで9割が決まる。この2つは地域戦略になるので、決定は社長の役目になる。
C. 人口が多い大都市では、直行・直帰の制度を作る。(花王のやり方。
自転車を活用した会社。)
②社内業務時間を少なくする。
卸売業では、30%が多い。社内業務時間は業種によって変わるが、同業者より「4%~6%」少なくすることができれば、業績向上に役立つ。
a. これを実現するには、販売担当者が社内でしている仕事を、すべてはつきりさせる。雑用というものの内容を明らかにする。
b. これら、1つ1つの仕事内容を検討する。
c.カットできないか。試しに3ヶ月間中止してみる。
d. パート社員に代行できるものはないか。
③ 得意先をABC分析する。
a. AクラスとBクラスへの訪問回数を決める。
b. AクラスとBクラスの滞在時間を決める。
c. Cクラスへの訪問は、相手からの呼び出しがあったときだけにし、しかも滞在時間は15分にする。
d. Cクラス対応の例外を決める。会社から近い。他社から大口で買っている。社長が若くて将来性がある。

これ以外に、新規開拓の進め方も必要になる。
以上ここ迄に、訪問面会件数の高め方について説明してきた。これらは機術の仕組作りになるので、担当の責任者は社長になる。

5.質の高め方
販売担当者の実力を高めるには、質も高める必要がある。33%。
①着眼大局の原則に従い、販売担当者の質を構成している中心的な要因をはっきりさせる。ORの実行。
② 中心的な要因のウエイト付をする。
③ 中心的な要因1つ1つの、レベルの高め方を考える。手引書作り。
④ 手引書を使って担当者を教育・訓練する。教育と賃金は、2対1に。
こうしたあとで実行に移ると、質が早く高まる。

A. 質の対象となるものとそのウエイト付
①お客を詳しく知る。社長の独立物語と、現在力を入れて取り組んでいる仕事や関心事。中心となる商品、中心となる営業方法、社内の人事、お客に対して報連相を実行し、お客から好かれて気に入られる。商品を売る前に自分を売れ。53%。
②販売先の売上増加に対する経営知識、戦略と戦術。継続取引型。27%。
③商品説明技術。お客自身がその商品を使用する場合。スポット型。(1)
◎お肉における作業、事務上の手能き、上司や関係者に対する、絶生、
連絡。13%。
⑤競争相手の情報収集。 7%。

※これらのレベルを高めるには、これらの中にある1つ1つの項目をはっきりさせたあと、改善方法を考える。さらにこれを手引書にまとめる。

B.これらの具体的な作業をするのは社長の役目に。もちろん戦術リーダーや仕事ができる人の協力は得るべき。
※販売担当者は質を高めるべきだ、計画性を高めるべきだ、段取りよく行動すべきだ、と、朝礼や会議で説教しても効果は出ない。

第3章 ランチェスター法則の経営への応用
はじめに。毎年々、何冊もの経営書が出版されている。これらの本には、どれも「こうしたら売上が上がる、ああしたら儲けが多くなる」と説明されている。しかしその説明内容には「戦略と戦術」が区別されることなく「ごっちゃ」に説明されているばかりか、競争条件が有利な会社が実行する方法と不利な会社が実行する方法も、明確に区別しないで説明されている。

これでは、実際に経営を担当する中小企業の社長は応用しにくくなる。これに解決の手掛かりを与えたのが、ランチェスターの法則になる。

  1. ランチェスターの法則
    A. 第2法則。攻撃力=兵力数²✕武器性能(質) 攻撃力=兵力数²
    双方の真の力関係は2乗になるので、10対7=100対49に、10対5=
    100対25というように、少しの差が大きく開いてしまう。これは兵力数が多い方にとっては、とても有利になる。

第2法則は、ライフル銃や機関銃など射程距離が「長い兵器」を使い、敵と離れて戦ったときだけ成立する。攻撃力が2乗になる根拠は、双方が離れて戦いをすると「確率の法則」が成立するから。そのため第2送期の
ことを「間隔戦・確率戦の法則」とも呼ぶ。

優勢軍が敵と離れて戦いをするには、平地で見通しがよい所を戦場に選ぶ必要がある。さらに有利な戦いをするには、次の条件が必要になる。
①優勢軍は、射程距離が長い兵器を選ぶ。(商品の決定)
② 優勢軍は、間隔戦がしやすい平地を戦場に選ぶ。(営業地域)
③ 優勢軍は、敵と離れた戦いができる陣を組む。(営業方法)
④実際に敵と離れて戦いをする。(販売方法)
こうするとはっきり2乗法則が成立するので、優勢であることがより有利になる。これを「優勢軍の戦略」と呼び、経営では「強者の戦略」になる。

B. 第1法則。攻撃力=兵力数✕武器性能(質) 攻撃力=兵力数これは初期兵力数に関係なく、戦死者の数は両軍とも同数になることを示している。
第1法則は、刀や槍など戦闘ができる範囲が「狭い兵器」を使い、敵に接近し、一瞬戦をしたときだけ成立する。そのため第1法則のことを「接近戦・一騎打ち戦の法則」とも呼ぶ。

しかし劣勢軍が優勢軍から包囲されるとこうはならないので、劣勢軍は山が険しい所や森が深い所など、大軍が動きにくい所を戦場に選ぶ必要がある。これについて法則を考えたランチェスターは、「山が険しい谷間を進軍する1000人の長は、3人の敵兵によって行く手をはばまれる」と説明している。

劣勢軍が有利な戦いをするには、次の条件が必要になる。

①劣勢軍は、刀や槍など戦闘ができる範囲が狭い兵器を選ぶ。(商品の決定)
②劣勢軍は、一騎戦がしやすい戦場を選ぶ。(戦場を狭くする)(営楽地域)
③劣勢軍は、一騎戦ができる陣を組む。(営業方法)
④実際に一騎戦をする。(販売方法)

こうすると2乗作用を受けていたときと比べると、損害量がはるかに少なくなる。 これを「劣勢軍の戦略」と呼び、経営では「弱者の戦略」になる。

2. 従業員は同じでもやり方で結果が大きく変わるここ迄に、ランチェスターの法則について説明してきた。これを経営に応用するには、この法則の要点をもう一度説明しておく必要がある。

A. 第2法則で経営をした場合(優勢軍の戦略)
① 1対0.5と、強い会社の2分の1しかない会社の社長が第2法則を基本にして経営すると、真の力関係はこの2乗で1対0.25になる。この場合、経営効率は50%減少する。
②1対0.33と、強い会社の3分の1しかない会社の社長が第2法則を基本にして経営すると、真の力関係はこの2乗で1対0.11になる。この場合、経営効率は67%減少する。

こうなれば従業員1人当たりの年間粗利益が、100万円~200万円も少なくなる。これでは「働けど働けど我が社の業績はいつも良くならず、じっと資金繰り表を見る」という結果になる。

B.第1法則で経営をした場合(劣勢軍の戦略)

①1対0.5と、強い会社の2分の1しかない会社の社長が第1法則を基本にして経営すると、真の力関係はやはり1対0.5になるので、経営効率は「1」で、損・得は発生しない。
②1対0.33と、強い会社の3分の1しかない会社の社長が第1法則を基本に経営すると、真の力関係はやはり1対0.33になるので、経営効率は「1」で、損・得は発生しない。

こうなれば3の努力をすれば3の成果が出、4の努力をすれば4の成果が出る。この状態を3年、4年、5年と続ければ、貯金通帳の残高が多くなるのでニッコリ笑って酒が飲める。

ランチェスター戦略には、公式や市場占有率の数字がいくつも出るので、一見すると難しく思える。しかしランチェスター戦略の最も中心部分はここにあるので、この事情をきちんと理解すればそのあとの応用が早くなる。

3.強者の経営戦略
市場占有率1位で26%以上を押さえ、2位との間に10対6以上の差をつけた会社だけが実行できる、全社的経営のやり方。強者の経営術。

1.強者は総合的な1位になることを目ざす。総合は強者専用の用語に。
2.強者は市場規模が大きな商品、市場規模が大きな営業地域、市場規模が大きな業界と客層に力を入れ、売上の増大をはかる。
3.強者は商品、営業地域、業界と客層の範囲を広くし、これらに盲点を作らないようにする。
4.強者のメーカーは卸会社を何社も利用した間接販売をし、市場のカバ一率を高める。
5.強者はテレビや新聞などマス広告を利用し、商品の認知度を高める。
6.強者は弱者よりも多くの支店を開設したり多くの販売係を配置し、下位の会社に2乗作用の圧迫を加える。
7,強者は資金力を生かして同業者や関係会社に出資をし、弱者を包囲する。

  1. 強者は重装備な経営をし、弱点を作らないようにする。
    9.強者のメーカーは資金力を生かし、新商品の開発に力を入れる。
    10.強者は弱者がこれ迄にない商品を開発したり、これ迄にない営業方法や経営方法を実行し始めたら直ちにマネをし、弱者が有利にならないようにする。

※これらの考え方を商品の決め方に応用すると強者の商品戦略になり、営業地域の決め方に応用すると強者の地域戦略になり、営業方法や財務に応用すると、強者の営業戦略と強者の財務戦略になる。

※市場占有率は県単位か自社活動エリアのどちらか広い方で測定。
※強者の戦略が実行できるのは、1000社中5社位しかない。

4.弱者の経営戦略
2位も含め、強者の条件を満たしてない会社が実行する、全社的な経営のやり方に。弱者の経営術。従業員数や業歴は無関係。日産自動車は弱者に。

1.弱者の社長はお客作りに直接関係するもので、なんとしても強いものや1位を作るのだという、強い願望と強い熱意、及び強い向上心と強い研究心を持つ。53%。リーマンショック以後、これらが急速に弱くなった。
2.弱者は、自社より強い会社を攻撃目標にしない。
3.弱者は強い会社と違った経営のやり方を考え、差別化を図る。マネ×。
4.弱者が、商品、営業地域、業界と客層に目標を定めるときは、自社の経営力でも1位になれる、市場規模が小さなものに力を入れる。もし対象となる目標の市場規模が大きいときは、その中のある部分で1位になることを目ざす。これを小規模1位主義、部分1位主義と呼ぶ。これを教えているのが、鶏口となるも牛後となるなかれの教訓。戦国策。
5.弱者は、商品、営業地域、客層に目標を定めるときは、範囲を狭くする。
6.弱者は、商品、営業地域、業界と各層に目標を決めるときは、これらを細分化して検討する。

7.弱者が1位作りに取り組むときは、特徴がある商品や強い地域を優先し、弱い商品や負けている地域は思い切ってカットする。
8.弱者のメーカーは御会社や小売店を使った開接販売をやめ、最終利用者への直接販売を考える。(卸会社も同じ)
9.弱者はテレビや新聞などマス広告をやめ、お客との人間関係作りを重視し、お客から好かれて気に入られる販売方法を実行。紹介の重視。

  1. 弱者が1位作りに取り組むときは目標を1つに絞り、これを達成してから次の目標へ移る、個別目標達成主義を守る。
    11.弱者は、将来1位になると決めた目標に対しては、1位になれるだけの経営力や販売戦術力を投入する。1対1.73倍、1対1.3倍。
    12.弱者は資金の固定化を避け、軽装備に徹して動きの早さを保つ。
    13.弱者は、1位になると決めた目標が達成される迄は、3年、5年、7年と、決してあきらめることなく忍耐強く実行を続ける。
    14.弱者の社長は朝型を中心に、1年に3200時間~3700時間仕事をし、本業と関係ないものには大切な時間を使わない。
    15.弱者は調子に乗らず、小さな成功で経営のやり方や生活内容を変えない。

※これらの考えを商品の決め方に応用すると、弱者の商品戦略に。

  1. 1000社中 995社は弱者の戦略で経営
    ここ迄、強者の戦略と弱者の戦略の大事なところについて説明。2つの内容は、全く逆さまのあべこべになっている。
    強者の戦略が使えるのは1000社中5社位しかなく、995社は弱者の戦略で後当をすべき。さらにこの中の400社は、競争条件が特別不利な「番外弱者」になるので、弱者の酸路をより厳密に守らなければ会社の維持ができなくなる。

ところがアメリカから入っているマーケティングやマネジメントに、2つ戦略ルールの区別がないばかりか、大会社の組織りと強者の戦略が中心になっている。この影響を受け、大学の経営学やMBAで教えているもの、それに学歴が良いコンサルタントが書いた本やセミナーで説明しているもののほとんどは、大会社の組織作りと強者の戦略が中心になっている。
次に人は、強いものに憧れるという本性を持っているので、ほとんどの人は、強者の戦略が正しい経営のやり方であると強く思い込んでいる。
これらが原因となり、本来は弱者の戦略で経営すべき会社でも、間違って強者の戦略で経営する社長がとても多くなっている。こうなると、従業員1人当たりの粗利益が、1年間に100万円~200万円も少なくなる。

  1. 戦争のやり方と経営との関係
    経営は競争であるから、業績を良くするには競争に勝つ方法を会得する必要がある。競争の中で勝ち負けの結果が、最もはっきりした状態で出るのが戦争になることから、経営のやり方を説明するときは、戦争を事例にすることが多い。

①戦争のやり方を応用したもので、最も多く説明されるのが孫子の兵法(戦略)になる。日本では、およそ15年おきに孫子の戦略のブームが起きる。しかし孫子が説明している内容は「強者の戦略」になっている。
そのため読み物としては面白味があっても、99.5%を占める弱者の社長には、思ったほどには役立たない。
②決に多く説明されるのが、ナポレオンの戦略になる。ナポレオンは「最も孫子の酸略を実行した人」と言われるように、基本となるものは強者の機器になる。そのため「読み物」としては興味があるものの、能業員100人以下の会社では応用しにくい。
③ クラウゼビッツの戦略もよく紹介されるが、これも基本思想は強者の戦路になっていることから、従業員100人以下の会社で応用する部分はとても少なくなる。
④戦争では「奇襲攻撃」を加え、敵の王や有能な武将を殺せば勝利なる。
あるいは優勢な敵から包囲されたときは、逃げずに中央突破を実行すると、活路が開けるという説明がある。しかし現実の経営ではこういうことは起きないので、奇襲攻撃や中央突破の考え方を経営に応用するのは限度がある。これが軍事評論家の限界になっている。

7.有利な会社と不利な会社の区別が明確にされてない
同じ業種で何社もが経営をすると、必ず競争が発生する。競争が発生すると、当然競争条件が「有利な会社と不利な会社」に分かれる。
これ迄「競争条件が不利な会社が業績を良くするには、競争条件が有利な会社とは違った経営をすべきだ」とか、「中小企業が業績を良くするには、大企業とは違った経営をすべきだ」ということについては、すでに多くの人が本や講演で説明している。
しかしどのような条件が整うと競争条件が有利になり、どのような場合は競争条件が不利になるかについて、具体的な内容の説明はされてなかったので、実際の経営には役立ってなかった。

たとえば「中小企業は、大企業とは違った経営をすべきだ」というのは分かる。しかしこれでは日産自動車は大企業であるから、日産自動車はトヨタと同じやり方で経営をしてもよいことになる。同じく中小企業どうしであれは3位や4位であっても、1位と同じやり方で経済してもよいことになる。
しかしこうすれば、確実に業績が悪くなる。
このような事情から「中小企業は大企業とは違った経営のやり方をすべきだ」というのは、実族の経営では立たないことが分かる。

このようにあいまいな表現がされていた中、はっきりした答えを出したのが、ランチェスター法則の応用の研究から出てきた、市場優先率の3大数値と、必勝の数値、それに強者の戦略と弱者の戦略の3つになる。中でも強者の戦略と弱者の戦略の違いを、明確に示したのは特別重要になる。

8. 各地に残る何々商法
戦争以外でよく説明されるのが、各地に残る〇〇の商法になる。
その1つは、大阪・船場の商法になる。これはできの良い番頭を娘と結婚させて、あとを継がせる方法になる。こうするとハングリー精神を持った人が代々社長になるので、マンネリ経営に陥ることが防げる。しかしこれ自体が、具体的な経営戦略にはならない。
これ以外では井原西鶴の「日本永代蔵」に見られるように、古くから「才覚・始末・算用」が伝えられている。この中で経営のやり方では才覚が戦略になるが、具体的にどうすればよいか詳しい内容は伝えられていない。結局業績を良くするには「経費の節約と値切り」が中心になる。〇〇地域の3段切りなど。このほかに、京都の商法、名古屋の商法などがよく紹介されるが、これ自体に具体的な経営のやり方は入ってない。
こうした中、唯一弱者の戦略を基本思想にしたのが近江商人の経営になる。
近江商人は江戸時代の初め頃、滋賀県の東部で後発として誕生した商人集団になる。しかし先発の大阪商人と伊勢商人がとても強かったので、業績を良くするにはこれらの商人集団と、競争を避ける方法が必要になった。これが弱者の戦略を生み出す原因になっている。
このように、各地に残る○○商法については興味を引く。しかし現在の経営に役立つような「体系的に整理」されているものは見当たらない。これは業歴が古い商家に残っている「家訓」の内容を見るとよく分かる。これらのほとんどは、経営者としての心構えや生活内容が中心になっている。

9.知識を中心とした仕事では戦略の共有が大事に
経営戦略は社長の経営術になるので、従業員 1000人の会社では疑いなく社長の役目になる。しかし知識を中心とした業種を初めとして、製造業や卸売業のような会社であっても、仕事の中心が会社の外になる販売の仕事、それに人事や経理のように、知識が中心になる仕事では事情が変わってくる。
それは知識そのものが形がないことと、1人1人が仕事をするときは、自分の考えや自分の判断で行動する場合が多くなるばかりか、そのプロセスが上司に分からないからだ。

このときに、各人が強者の戦略と弱者の戦略ルール、それにORの方法を理解しておくと、ムダな行動が少なくなる。さらに社内で重要な仕事を、何人かで打ち合わせをしたり会議をするとき、各人が2つの戦略ルールやORの考え方を身につけておくと、自社に合った考えで対応したり発言できるので、ムダな議論が少なくなる。
このような事情から社内の価値観や基本思想を、ランチェスターの法則で統一することはとても大事になる。

弱者必勝の経営戦略13カ条
1.弱者の社長はお客を作るときに直接関係する、商品、地域、客層で、なんとしても1位を作るのだという、強い願望と強い熱意を持って経営にあたれ。
2.100人以下は、業績の96%が社長1人の戦略実力で決まる。社長は強い向上心を持って戦略の研究に取り組み、戦略実力を高めよ。
3.会社は粗利益で生きている。弱者は売上高より従業員1人当たりの粗利益を重視し、これを業界の平均と比較せよ。
4.弱者は大きな会社と違った、経営の差別化に力を入れよ。

  1. 1位作りに取り組むときは自社の経営力でも1位になれる、市場規模が小さなものに目標を定めよ。
  2. 商品や営業地域、それに客層の範囲は思い切って狭くせよ。範囲を広げると、経営力が分散してどれも弱くなる。
  3. 弱者が1位作りに取り組むときは、特徴がある商品や強い地域を優先し、弱い商品や負けている地域は思い切ってカットせよ。
    8.弱者のメーカーは卸会社や小売店を使った間接販売をやめ、最終利用者へ直販することを考えよ。
  4. 1位作りに取り組むときは目標を1つに絞り、これを達成してから次の目標へ移れ。同時にいくつもの目標に取り組むな。
    10.将来1位になると決めた目標に対しては、競争相手の1.3倍から1.7倍の戦術力を投入せよ。少ない戦術力で、1位になることを夢見るのはまじない師。
    11.商品をどこから買うかの決定権は、お客が100%持っている。弱者はお客から好かれて気に入られることで、地元No.1を目指せ。
    12.弱者は資金の固定化を防ぎ、軽装備に徹した経営をせよ。
    13.実行力の7割は投入時間量で決まる。弱者の社長は朝型を中心に、
    1年に3200時間から3700時間仕事をせよ。
    番外、弱者は調子に乗るな。小さな成功で経営方法と生活を変えるな。

ランチェスター経営(株)
竹田陽-
TEL 092-535-3311 FAX 092-535-3200