竹田陽一先生とランチェスター法則

竹田陽一先生

竹田陽一先生

竹田陽一先生とランチェスター法則の出会い

竹田陽一先生がランチェスター法則と出会ったのは、1973年7月23日に福岡市の博多駅前で開かれた、田岡信夫先生の講演会に参加したことがきっかけでした。

竹田陽一先生、当時34才。

田岡信夫先生は、斧田大公望先生と共に産業教育会社であるセールスプロモーションビューロー(SPB)に講師として勤められていた時に、奥村正二先生の「企業間競争と技術」と、林周二先生の「日本の企業とマーケティング」を読んで、はじめてランチェスター法則と出会い、お二人はその中に記してあったオペレーションズ・リサーチの本を買い求めました。

その本にはバーナード・コープマンが書いた戦略モデル式が書いてあり、その前後にランチェスター法則について詳しく書かれていました。ランチェスター法則のなかで最も興味深かったのは、第一法則と第二法則によって競争の力関係をシミュレーションすることで、数字をはっきりと示し分かりやすくしてあったことです。

お二人は、このランチェスター法則をうまく使えば市場占有率の数値が出るのではないかとひらめき、1962年7月から約1年かけてランチェスター法則を研究し、世界で初となる市場占有率の三大数値というものを導き出されました。

それは竹田陽一先生曰く、
「日本人の独創によるすばらしい発見」
でありました。

1970年頃当時、田岡先生はマーケティング研究会を開いている会社において「ランチェスター戦略」というテーマで講演会を開いたところ、多くの人が関心をしめし、それを切っ掛けにしてあちこちで講演されることになりました。

田岡先生は、1972年12月には「ランチェスター戦略入門」というタイトルで出版をします。
これが大ベストセラーとなり、講演の依頼がものすごく多くなり、まさに一流講師になられたわけです。

竹田陽一先生が、田岡先生の講演を聴いたのは博多での講演会でした。当時約80人が参加しており内容がとてもよく、お話が上手だったので竹田陽一先生はいっぺんで気にいってしまったそうです。竹田陽一先生によれば、ご自身には気にいる要素が自分の中にはいくつもあって、それがその後ランチェスター法則にのめり込むきっかけになったとおっしゃっています。

竹田陽一先生がランチェスター法則に熱中した3つの理由

理由1 ラジオ少年だった

高校一年の時に鉱石ラジオを組み立ててそれからラジオ少年になり、白黒テレビも自分で組み立てるほどでした。その自作のテレビはその後修理をしながら10年間も使い続けるほどの電気オタクだったそうです。
はじめて聞いたランチェスターの法則の数式が、それまで大好きだった電気の法則とまったく同じで、とてもとてもよく理解できたことが理由だと、竹田陽一先生はおっしゃっています。どちらも原理原則であり符号を変えれば同じ構成になっていることが、とても気にいったそうです。

理由2 講師としての成長のため

竹田陽一先生は田岡先生の講演を聞く10カ月前頃から、信用調査会社の顧客サービスの一環として、お客さんのところで無料で講演をしていました。
講師としての田岡先生の話し方、間の取り方、図表の使い方などがとっても上手で、参考になることが沢山あったそうです。田岡先生の講演を学べば、自分も講演に活かせるのではないかと考えたそうです。

理由3 企業戦略を学んで仕事に活かす

当時、企業調査会社に勤めて業績分析や倒産した会社の取材などをしていたので、仕事をする上で市場占有率の法則を理解しておくことが、とても役に立つのではないかと考えたそうです。自分自身もランチェスター法則で企業戦略をしっかりと勉強すれば、仕事の実力を高めることができるのではと考えたそうです。

田岡先生の勉強会の高額な参加費を払わずに受講する方法を編みだす

竹田陽一先生は、田岡先生の講演を聞いた後に、ランチェスター法則をこれからしっかり勉強するにはどうしたらよいかと真剣に考えたそうです。そして、福岡で行われる田岡先生の会社が主催する勉強会に、知り合いの社長を誘って一緒に参加することにしたのですが、参加費が2万5千円(ご本人曰く現在だと5万円くらいの値段とのこと)だったことから、当時サラリーマンだった竹田陽一先生にとっては、とても負担が大きい金額だったようです。

サラリーマンの毎月の小遣いから参加費を支払うことはとても大変だったので、なにかよいアイディアはないかと、さらに真剣に考えてみました。
その結果考えついたのが、田岡先生を福岡の商工会議所や銀行の研修部に自分で売り込んで、講演の講師として招いてもらうことでした。つまり、講演講師の依頼を受ける講師派遣の営業として、自らが田岡先生を福岡県内の企業や銀行などに売り込んで回ることを思いついたのです。

竹田陽一先生は福岡県内で営業をしてまわり、
「ランチェスター戦略の勉強会を開かれるときは、私が責任をもってやりますのでお声がけください」
と勝手に営業をはじめました。

すると最終的に、12の会社から田岡先生のランチェスター講演会の依頼が来たそうです。その甲斐あって、竹田陽一先生は田岡先生の講演会の段取りを自分でしているので、いつでも無料で受講することができるようになりました。

今では一般的ですが、企業調査会社の講師派遣のパイオニアのようなものですね。
お陰で田岡先生とも親しくなることができ、何度か福岡の歓楽街である中洲にもご一緒されたそうです。

竹田陽一先生、独立する

竹田陽一先生が初めて田岡先生の講演を聞いてから10年くらいした時、自身の講演回数が1,000回近くになっており、竹田陽一先生自身もすでに人気講師になっておられました。

この時の竹田陽一先生の講演のテーマは自分で開発したものが3つだったそうですが、知名度もかなり上がりはじめたことと、勤めていた企業調査会社の営業社員の中で売上高が全国1位になっていたこともあり、講演業とコンサル業で独立をすることにしました。
企業調査会社では、ゼロから自分自身で開拓した顧客企業も既に500社くらいになっており、機が熟して独立というタイミングでした。実はあまり知られていないことですが、竹田陽一先生が会社から独立をすることを心に決めたのは信用調査会社に勤めていた10年前程前からでしたが、それを実現する時が到来したというわけです。

しかしながら当時の竹田陽一先生は、ランチェスターそのものの説明をして講演をするのはとても難しく、まだまだ自分のものになっていませんでした。
そこで、田岡先生のところのFCのような形にして毎月お支払いをしてご指導いただくということを考えてお願いをし、なんとか田岡先生にご承諾いただいたそうです。

そして、1983年の6月1日に、竹田陽一先生は自分の会社であるランチェスター経営株式会社を設立します。

設立にあたって6月13日に福岡でパーティーを開いて230名の方にご参加いただき、その時は田岡先生にもご列席いただいたそうです。オフィスは福岡駅から南に1kmほどのところにマンションを購入し、作業場としました。
毎月20件程(かなりの数です)の講演をしながら、テキストの作り直しやら、会社設立の案内状の送付やらの雑務すべてを一人でこなさなければならない日々がスタートしたのです。目の回るくらいの忙しさで、まさに竹田ランチェスター理論でいう「1階建ての組織」の会社で、社長が戦術係という状態です。

しかし、あまりに忙しすぎて竹田陽一先生は、田岡先生から直接指導を受ける機会がないまま時間だけが過ぎていきました。とくに竹田陽一先生は独立前から自分で経営を始めるにあたって、「あんなことをしたい、こんなことをしたい」という希望が沢山あったので、ますます時間の余裕がなくなっていきました。
→バタビン(バタバタ貧乏)ではなく、稼ぎまくっていたところがすごいところですね。

ランチェスター戦略を学ぶ機会を失う

独立して2か月くらいが立ったある時、田岡先生の奥様から電話がかかってきたそうです。竹田陽一先生はその電話で、田岡先生が入院なさったことを伝えられたそうです。一度もご指導を受けていなかったので、とてもショックだったそうです。そして4ヶ月くらいが経って一度退院されたそうですが、その後残念なことに再入院をされて、1984年11月23日(享年57才)にお亡くなりになったそうです。

当時の竹田陽一先生は、年間に300回くらい講演をしていて全国を走り回っていました。筆者(河辺よしろう)自身も年間200回ほどの講演をした経験がありますが、身体を壊しそうなくらい大変でした。年間300回を超えるペースというのは想像もつきません。365日中の300回の講演とは、完全に常軌を逸した回数であることが、よくお分かりいただけるのではないでしょうか。

当時の講演のテーマは「1枚のはがきで売上を伸ばす法」というもので、この内容を書籍化して21万冊売れる大ベストセラーになっており、竹田陽一先生も田岡先生のように講演依頼がたくさん来るようになりました。

しかし、その時の竹田陽一先生にとってのランチェスター法則は、まだまだ自分のものになっていないのが実情でした。これから田岡先生にご指導を頂いて、ランチェスター法則をしっかりと学ぼうとしていた矢先だったのです。

田岡先生がお亡くなりになった後、コンサルタントの中には田岡先生のやり方をそっくりマネして講演する人もいたそうですが、竹田陽一先生は、そういった形だけで表面的に田岡先生のマネをしたくないので、なんとか自分が研究をすることでランチェスター理論をしっかりと構築したいと考えるようになっていきました。

ランチェスター先生の写真 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ランチェスター理論を求めて英国へ

それから10カ月くらいたった時に、田岡先生の奥様から田岡先生の1周忌のお知らせを頂いたことが切っ掛けになって、基礎から学ぶのであれば「ランチェスター先生の墓参りに行くことにしよう!」と決意したそうです。ランチェスター先生のお墓参りに行って1から基本をきっちり研究したら、ランチェスター理論をしっかりと自分のものにできるのではないか、と考えたそうです。

しかし、竹田陽一先生は英語がまったくダメ、ランチェスター先生の情報は何もない状態。どうしていいのか分からない状態だったのですが、すぐに旅行代理店に行って、当時流行していた「ロンドン滞在フリー1週間」というパック旅行に、奥様と二人で躊躇なく申し込んだそうです。

1985年12月9日、竹田陽一先生は奥様と初めてロンドンの地を踏むことになりました。

ランチェスター先生の肖像画

竹田陽一先生がランチェスター先生の生写真をもとに、約70万円を支払って東京の画家に描かせたランチェスター先生の肖像画

イギリスへ行く前に、ランチェスター先生の一番末の弟さんであるジョージ・ランチェスター氏の奥様であるメリー(当時85才)さんが、イギリス南西部のエクセター市(人口約12万人)の郊外に住んでいるとの情報を得て訪ねることにしました。

自宅を訪問して話をしていた時に、竹田陽一先生がふとテレビの台の本棚に目を向けると、な、なんとランチェスター先生がおつくりになった原書があるではないですか!

居ても立ってもいられなくなり、竹田陽一先生はメリーさんに
「その本を譲ってくれませんか?」
と何度も何度もご所望されましたが、結局「YES」とは言ってもらえませんでした。

がっかりして肩を落とす竹田陽一先生に、メリーさんは
「コベントリー大学の図書館のジョン・フレッチャーさんのところへ行けば、ランチェスター先生の資料をいっぱい集めているから連絡をしてあげるわよ」
と言われ、目の前で電話をしてくれました。

そして翌日に、コベントリー大学の図書館にジョン・フレッチャーさんを訪問することができたのです。はるばる日本からランチェスター先生の調査をしに来たことにジョン・フレッチャー氏はいたく感激されて、竹田陽一先生は色々な資料をもらって帰ることが叶いました。

イギリス コベントリー大学 ランチェスター図書館

イギリス コベントリー大学 ランチェスター図書館

私は、竹田陽一先生とは別の時に一人でコベントリー大学を訪ねましたが、とても立派で大きな図書館でした。私もそこでジョン・フレッチャーさんを訪ねてみたのですが、事前にアポを入れていなかったので、外出されていてお会いすることができませんでした。しかし、図書館の方が親切にランチェスター先生の資料を色々見せてくださり、お話を色々聞かせて頂くことができました。

しかし、竹田陽一先生にとって第一回目の英国訪問でもっとも大切なミッションであった、ランチェスター先生のお墓を見つけてお参りをすることはできませんでした。

仕方がないので竹田陽一先生は、ジョン・フレッチャーさんにお墓を探してもらうようにお願いして帰国し、第二回目の訪英で探して探して、ようやくランチェスター先生のお墓を見つけることができました。場所はロンドンから南へ向かったヘイワーズヒースという、駅から3kmほどのところにありました。こうして、ようやく念願だったランチェスター先生のお墓にお参りをすることができたのです。

ランチェスター先生のお墓

ランチェスター先生のお墓

私が、ランチェスター・コンサルタントとして独立する際には、竹田陽一先生が保有する「ランチェスターマネジメント」という言葉を現在の社名に使うことの条件として、ランチェスター先生のお墓参りにいくことを勧められました。私も竹田陽一先生に見習って、今までに二度、ランチェスター先生のお墓に直接お参りをさせていただいております。

竹田陽一先生は、さらにバーミンガムにあるランチェスター先生の自宅と工場跡も6回訪ねていらっしゃいます。自宅の方は歴史的建物として、緑のサインでランチェスター先生の自宅だったことが分かるように記されています。

ランチェスター先生が長く暮らしていた自宅(バーミンガム市)

バーミンガム市にあるランチェスター先生が長く暮らしていらっしゃった自宅

イギリスではランチェスター法則よりもランチェスター・カーとして有名なランチェスター先生。日本には昭和天皇ご令弟にあたります秩父宮殿下が、ランチェスター・カーに特別に依頼した特別仕様車をご利用になられておりましたが、東京大空襲で焼失しています。このことは、日本とランチェスター先生との関係は戦前からあったことが分かります。

ランチェスター・カーを製造していた工場跡

ランチェスター・カーを製造していた工場跡

現在、国内ではトヨタ自動車が1904年製のランチェスター・カーを走れる状態で整備をして、トヨタ博物館に所蔵している一台が現存するものといわれています。

トヨタ博物館にある1904年製のランチェスター・カー

トヨタ博物館にある1904年製のランチェスター・カー

以前、竹田陽一先生とトヨタ博物館でこのランチェスター・カーと一緒にランチェスター戦略の講演会をさせて頂いたことがあります。私にとっては、とても良い思い出です。

竹田陽一先生と河辺よしろう

(左)河辺よしろうと(右)竹田陽一先生

ランチェスター先生を心から敬愛される竹田陽一先生ですが、先生の奥様がイギリスでお買い求めになられた、ランチェスター先生が晩年に愛用なさっていたものと同じジャケットを着られて、現在も新しい教材開発に取り組んでいらっしゃいます。

竹田陽一先生の弟子

私たち竹田陽一先生の弟子は、新しい教材を常に購入して、日夜ランチェスター法則の研究に取り組んでいます。

竹田陽一先生によれば、宗教で帰依するということの一つは、まずは宗教家に近づくことだそうです。次に宗教家が着ている衣に手を触れること。そして三つめが宗教家の足元に膝まずくとのことで、ご本人曰くランチェスター先生に帰依していらっしゃる竹田陽一先生です。

ランチェスター・シャツを着て講演する竹田陽一先生

ランチェスター・シャツを自ら製作してランチェスター先生に帰依する竹田陽一先生

ランチェスター法則は競争の法則です。競争が発生するところには活用できるところが沢山あります。ランチェスター法則を、なににどう応用するのかは結構難しいのですが、正しく応用するためにはランチェスター法則自体をしっかりと研究してマスターすることが大切です。
「竹田陽一先生のところで勉強しました」
という「にわかランチェスター講師」も相変わらずとても多いのですが、ランチェスター講師を名乗るのであれば、竹田陽一先生が開発された、「竹田ランチェスター教材」のフルセット(約200万円)を持っていて、しっかりと竹田ランチェスター理論を研究している人が、良いランチェスター講師の最低限の条件となります。
さらに、竹田ランチェスター理論を真剣に学んでいるかどうかは、イギリスのランチェスター先生のお墓参りに行っているかどうかで、その人の本気度が分かりますね。

竹田ランチェスター理論をしっかりと実業に活かしていくためには、自社でランチェスター法則を応用しようとする対象となるものをしっかりと勉強し、マーケティング的、また専門的な理解を深めることが重要になります。
応用しようとする分野と、竹田陽一先生のランチェスター理論の二つの分野を研究することが、結果を出すためには必要になります。

会社の業績の98%は社長の責任、と竹田ランチェスター理論で明らかになっている通り、最後は竹田ランチェスター理論と、それを応用しようとする領域の間を埋めるものが、社長の知恵やひらめきなのです。
この二つの分野を常に深く考え続けることが、自社の戦略のひらめきを得る上で、とても大切になります。

竹田陽一先生の経験談や研究ネタである「ランチェスター独立物語」や「ランチェスター戦略 教材開発物語」、「日本でランチェスターがどうやって広がった?」という、とても面白いお話もたくさんありますので、それはまた別の機会にお話ししますね。

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

このようにして竹田陽一先生の
【竹田ランチェスター・モデル】
といわれる独創的な「ランチェスターマネジメント理論」が作られていったことを、少しでもご理解いただければ幸甚です。

竹田陽一先生がフォレスト出版から出版されたランチェスター戦略の英語版の著書

THE LANCHESTER STRATEGY FOR MANAGEMENT How to Win in Small and Medium-sized Enterprises.

How to Win in Small and Medium-sized Enterprises.
THE LANCHESTER STRATEGY FOR MANAGEMENT
竹田 陽一 著 フォレスト出版株式会社

私の主宰するランチェスター倶楽部では、この本を利用して英語の学習にも役立てています。

竹田 陽一 (たけだ よういち) 先生 プロフィール

竹田陽一先生 講演の様子

日本の実業家であり、従業員100名以下の中小企業向け経営コンサルタント。ランチェスター経営株式会社代表取締役。

1938年10月生。佐賀県唐津市生まれの久留米市出身。
福岡大学経済学部を卒業後、建材メーカーに入社。 経理を3年、営業を3年経験したあと、28歳のときに企業調査会社の東京商工リサーチに転職。中小企業の信用調査と、倒産会社の取材を16年間担当。営業面では入社3年で社内はもちろん、九州でも1位になり5年で全国1位になる。1983年45歳の時に独立、ランチェスター経営を創業し今日に至る。 講演回数は、4500回を超える。

ランチェスター法則との出会いは35歳のとき、福岡の駅前で開かれたセミナーに参加してから。以来、経営戦略の研究に取り組むとともに、経営を構成する8大要因の1つ1つに、ランチェスター法則の応用を始める。

ランチェスター先生の墓参りに9回イギリスまで行き、原書を手に入れて翻訳。
趣味は物理と音楽。

著書

『ランチェスター弱者必勝の戦略』(ビジネス社)
『1枚のはがきで売上を伸ばす法』(中経出版)
『1枚のはがきでお客様を感動させる本』(中経出版)
『ランチェスター法則のすごさ』(中経出版)
『独立を考えたら読む本』(中経出版)
『危ない会社の見分け方』(自社出版)
『中小企業の信用調査』(自社出版)
『小さな会社☆社長のルール』(フォレスト出版)
『小さな会社は一通の感謝コミで儲けなさい』(中経出版)
『ランチェスター経営がわかる本』 (フォレスト出版)
『プロ☆社長』(中経出版)
『なぜ“会社”の数字は達成されないのか』(フォレスト出版)
『“ランチェスター経営”であなたの会社が強くなる』(サンマーク出版)

それ以外にも出版物多数!!

橋本美穂
河辺よしろう
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